食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む [leggere -読書-]
”食べる”というタイトルに惹かれて購入しました。
著者の宮下規久朗氏はカラヴァッジョについての本も書かれています。
イタリアの教会や美術館で絵を見ることは多々あり、そのための知識として
聖書のエピソードをかいつまんで頭に入れておくことはしていました。
が、こちらの本は絵に描かれた「食事」もしくは「食物」に焦点を当てて鑑賞するという
斬新な視点で書かれています。
「最後の晩餐」ではパンはキリストの体、ワインは血と宗教的な意味が加わっていますが
食事の光景です。また「施し」や「食前の祈り」などが描かれた絵にも食物はえがかれて
いますし、聖人の絵にもよく見ればテーブルの上にパンがのっていたりもします。
ゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」やカラッチの「豆を食べる男」(ローマのコロンナ美術館に
ありますが、土曜半日しか開いていないためいまだに実物見たことないです・・・。)などの
庶民の食事場面。宴会風景や肉が吊るされている市場の光景。
食物が主題となっていることが圧倒的に多い静物画は市場や厨房の絵において、描かれた
食物が徐々に中心となり、舞台設定をなくしてしまったところから発達したそうです。
印象派の絵画では田園風景の中での食事を楽しむ人々が描かれ、レストランやカフェが
発達してからは舞台が屋内へと移り変わります。またウォーホールの「キャンベルスープ缶」
に至って、静物画に新たな意味が与えられたと紹介されています。
こうして見てみるとほんとに西洋美術には「食」が大きく関わっているのがわかります。
食に目を向け、同時に宗教的意味や教え、時代背景、地域の事情、食を取り巻く環境など
様々な事柄についても理解できるようになっている1冊でした。
”食事は単に生存の手段であるというだけではなく、人と人とのつながりを強調する意味をも
持っている。食事には社会性があり、文化がある。西洋美術はそれを的確にとらえてきたと
言える。”等の著者の言葉には深く頷けます。
食べることは生きることだ!と常々思いますし、異国の文化を理解するのにまずは食文化を
入り口とする私のやり方も単に食いしん坊だから・・・というのではなく、意外と的を射ていたのかも?
と励みになりました(笑)
食の重要性を改めて考えると、昨今の食糧危機問題もますます重みが増してきます。
6月3日からローマで食料サミットが開催されますね。
福田首相とローマ・・・注目ポイントはここではないとわかっていても、気になる組み合わせです。
食と文化は、切っても切り離せないもの。食べ物の歴史を垣間見るのも楽しそうですね。
私も旅に出るときは、必ず食べ物をチェックして、その地の食を楽しみにする方です。
きっと食いしん坊では引けをとらないと思いますよw
by echo (2008-05-31 23:28)
私の友人で、その国の食べ物が美味しかったら
その国の言葉は覚えられると言った者がおります・・・・・が
日本語以外しゃべっているのは聞いたことが無い(笑)
by pace (2008-06-01 01:54)
>echoさん
食べないと生きていけませんし、最も生活に密着したものだからこそ
その歴史を見ることでより理解が深まるのでしょうね。
次回から絵を見るときにまず食べ物を探してしまいそうです(^^;
旅の楽しみは”土地の物を食べる”ですよね!食いしん坊仲間がいて
うれしいです。
>paceさん
ご友人の言わんとされること、なんとなく分かります。
味覚で拒絶反応がでたら、いくら素晴らしい文化を持っている国でも
興味を持てないような気がします。となると言葉も覚える気にならないと
思いますし。なるほど!!と思いました。
ほんとに料理食べて「おいしい!」と言った瞬間から言葉を理解できるようになれば
とっても便利ですよね。毎日イタリア料理食べて、細胞の隅々にまで届けて
いればイタリア語ぺらぺらになる日が来るかも?と信じてみます(笑)
by Pace (2008-06-01 19:40)