マルタの魅力 -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
古代の遺跡、ローマ時代の遺跡、キリスト教徒の地下墓地、騎士団の築いた要塞のような街、歴史的会議も行われたことのある小さいけれどカラフルな漁村、日本人戦没者慰霊碑など、小さな島によくこれだけ・・・と思えるほどの魅力が詰まったマルタ島。これまでの記事で紹介してきたこと以外に、3泊4日のこの旅で見たマルタについて書きたいと思います。
マルタには鉄道がないため、移動はバスがメインになります。お金に余裕があればタクシーという手も。ヴァレッタのバスターミナルを中心に、島内を縦横無尽にバスが走り回っていて乗りこなせば便利なのですが、慣れるまではそのレトロな車体とのんびりな運行ペースに翻弄されました。行きはまだいいのですが、帰りは「いつになったら戻れるんだろう?」と途方に暮れてしまうこともありました。なかなか来なかったり、どれに乗ったらいいのか分からなかったり・・・。同じように困っている観光客達の会話を盗み聞き(こういう時だけ野生の勘でなんとなく英語が理解できたりする)して見当をつけたり、ストーカーまがいの行動で同じバスに乗り込んでみたり。”多少遠回りになってもヴァレッタには帰れるだろう・・・。だって首都だし。”と、おおらかに開き直れば問題なしです。それから、運賃は運転手さんへ手渡しで支払うのですが、お釣りは大抵ごまかされてまともに返ってこないので、小銭の準備は必須です。マルタの通貨はマルタリラです。2005年のこのとき、だいたい1マルタリラ=340円でした。最初は1ユーロの感覚(このとき1ユーロ=約145円)でまあいいやと思っていましたが、塵も積もれば山となる・・・マルタの50セントが1ユーロより高いことに気が付いてからは、がぜんお釣りに対してシビアな態度を心がけるようになりました。貧乏旅行者のくせに迂闊でしたね・・・。
バスを降りるときにはブザーで知らせるシステムですが、中には紐を引っ張るようになっている超アンティークな車体もありました。何人もの手垢にまみれて黒っぽくなってしまって、ゆるーく弛んだ状態の紐が天井にあればそれです。この紐を使って降りる意思表示ができればバスの達人と言ってもいいかと思いますが、私は乗ったはいいがどこで降りたらいいかなんて分からず、運転手さんか乗客の中の優しそうな人に行きたい場所を告げておいて教えてもらう作戦だったので1度も使用しませんでした。
マルタの公用語はマルタ語と英語ということですが、イタリア語も普通に通じます。バスをぼーっと待っている間に、近くの人となんとなく目があって会話が始まる・・・ということもありましたが、相手は英語、私はイタリア語(片言)という不思議な状態で意思の疎通が可能でした。
湾内に突き出た形のヴァレッタとはマルサイムシャット・ハーバーを挟んだ向かいにある街、スリーマへはフェリー(というよりボート?)で移動してみました。
前方に見えるのがスリーマの街です。あっという間の距離ですが、ヴァレッタとは全く違う雰囲気の新興都市です。ここでは空港で知り合った日本人の方と夕食の約束をしていたので、待ち合わせの教会へと急ぎました。
空港で一旦別れてそれぞれのホテルに荷物を置いた後にここで・・・と地図上で目に付いた適当な教会を待ち合わせ場所に選んだのですが、こんな大雑把な決め方でまともに会えると思うほうが浅はかですよね・・・。私は奇跡的にほぼ時間通りに着いたのですが、なかなか相手はやってこない。携帯でちょっと連絡・・・ということもできず、こうして写真撮りながらひたすら待ち、やっぱり一人でご飯食べることになるのかなあなんて思い始めた頃に登場!さんざん迷ってしまったらしいです。
首都であるヴァレッタについては町並みを中心に、既に2つ記事を書いていますが、もう少し細かな見所を綴ってみたいと思います。まずは【聖ヨハネの教会堂】。
マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた教会だそうです。この旅で、マルタ島の中で、最も楽しみにしていたのが、この教会に付属している美術館。朝一番で教会前に赴き、扉が開くのをいまかいまかと待ち焦がれて開館と同時に中へ!そして、豪華な内装をざっと一回りしてからカラヴァッジョの傑作を見に美術館へ!目の前の壁一面にあるのは【聖ヨハネの斬首】。Meraviglioso(すっばらしい)です!大きさは361cm×520cm。といっても数字だと分かりにくいので畳に換算してみました。約12畳分です。(日本人って畳で広さを分かり合えるので便利ですよね。他の民族は数字ですぐにイメージできるものなのでしょうか?)サロメの要求で今まさにヨハネの首が切り落とされようとしている場面を描いた絵。カラヴァッジョのリアルな筆、圧倒的な大きさの絵の中の人物はほぼ等身大で、臨場感たっぷりです。
もう一枚、【聖ヒエロニムス】もあります。こちらは117cm×157cmと、聖ヨハネの斬首に比べれば小さいサイズながらも存在感は充分です。一番乗りで突入したかいがあって、傑作を独り占めして鑑賞できたのが何よりも感動的でした。
ヴァレッタのある半島の先端に位置する聖エルモ砦です。草が生えてのどかな雰囲気ですが、騎士団とトルコ軍の壮絶な戦いが繰り広げられた場所でもあります。塩野七生さんの「ロードス島攻防記」の中で書かれている16世紀半ばの戦いの部分に、”トルコ軍が捕らえた騎士の頭を切り落として砲弾代わりに撃ち込めば、騎士団側もトルコ兵の頭を撃ち返した。”とあるのを読んだ時には、そこまでするか?!と半信半疑でしたが、その様子を描いた絵がありました。今のこの砦周辺の静かな雰囲気から、かつて生首が飛び交った激戦の模様を想像するのは難しいです。
エルモ砦の近くには【騎士団施療院】があり、
ヴァレッタのほぼ中心、パレス広場に面して【騎士団長の宮殿】があります。
やはり騎士団関連施設が多いです。ヴァレッタに関してはマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団。マルタの前にはロードス島を本拠地としていたことからロードス騎士団とも呼ばれていました。)についての知識が少しでもあると楽しみが広がると思います。
こちらは【Auberge de Castille(オーベルジュ・ドゥ・カスティーユ)】です。
もとはスペイン・ポルトガル出身の騎士団の宿泊所だったもので、現在は首相官邸として使われている建物。置かれた大砲はものものしく、門や窓周囲の彫刻の優雅さとは対照的です。
オーベルジュ・ドゥ・カスティーユに向かって右手には【アッパー・バラッカ・ガーデン】があります。
VallettaヴァレッタVol.2の記事で紹介したローアー・バラッカ・ガーデンと同じくグランドハーバーに面しています。ここにもさりげなく大砲が置かれていました。
大砲のある位置から少し左へ視線をずらして見えるこのあたりまでの対岸は、スリーシティと呼ばれるエリアです。マルタにやってきた騎士団が、最初に住んだ場所なんだそうです。スリーシティ(3つの町の総称)のうちのひとつ、ヴィットリオーザは、騎士団が居住していた当時の建物や街路の佇まいがよく残っているらしいのですが、時間がなくて訪問できませんでした。
最後に、ヴァレッタで買ったフィルグリーと呼ばれる銀細工の写真を。
レースのような繊細な細工。マルタの伝統工芸の一つだそうです。
Hagar QimとMnajdra Temples -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
マルタには先史時代に造られた巨石神殿が多く残され、それらがユネスコの世界遺産に登録されています。紀元前5000年頃から人が住み始め、中にはギザのピラミッドなどより古い、おそらく世界最古の建造物ではないかと言われている神殿もあるそうです。そんなにも古い時代に、1個数トンもある石をどうやって組み上げたのか?・・・今でも謎のまま。伝説では巨人の女性が作り上げたと言われているそうです。
私が訪れたのは首都ヴァレッタからみてちょうど反対の海側にある、Hagar Qim(ハガールキム神殿もしくはハジャーイム神殿)とMnajdra Temples(ムナイドラ神殿もしくはイムナイドラ神殿)の2つ。読み方がガイドブックによって違うので、どちらが正しいのか・・・。
ローマの空港でマルタ行きの飛行機を待っている間に1人、さらにヴァレッタのバス停で神殿行きのバスを待っている間に1人、同行者を捕獲(笑)し3人に増殖しての観光となりました。私は基本的に一人旅派なのですが、旅先で日本人(相手も一人か二人に限りますが)を見かけるとつい気軽に話しかけてしまう癖があります。ドライな友人に「話しかけられるの嫌な人もいるんだからやめたほうがいいんじゃない」と言われて反省したこともありますが、自分とはおそらく違う理由で同じ目的地を選び、同じ時間にそこにいる人に興味を示すことをやめられない・・・。相手にも都合があるのは分かっているつもりですし、話かけて拒否されたとしてもそれはそれでいいやと思っています。旅先でもし、私に出会ってしまって話しかけられ、うっとうしいと思ったら遠慮なく、はっきりそう言って下さい(^^;
バスを降りててくてく歩き、小屋みたいなところでチケットを購入してまずはHagar Qimへ。
こちらの神殿は紀元前2800年~2400年前頃のものだそうです。確実に人力のみでの作業だと思いますが、ほんと、どうやって積み上げたのでしょうか?石の形もきれいです。
椅子のようにも見えますが、この時代の人々が椅子を使っていたとは考えにくいので、何かを置く台?のようなものと考えたほうが近いのでしょうか。
”いきなり倒れてきたりしないよなぁ・・・”とちょっと心配になったりしました。
長い年月、風雨にさらされ建築物というよりはオブジェに見えます。
Hagar Qimから細い道を歩いて移動し、次はMnajdra Templesへ。
なんだか高地にいるような荒涼とした風景ですが、それほど高いところではありません。海辺の崖の上、背の高い木や草もないため遮るものがなく、風が強くて飛ばされそうになりました。
Mnajdra Templesは3つの神殿が半円を描いて肩を並べるように建てられたものだそうです。紀元前3000年~2400年頃のものだとか。
細かく空間が区切られていますが、何に使ったのかなあ??所々に説明看板がありましたが、英語読めません(笑) 手前のはテーブルっぽいですね。
にょきにょき石が生えてるように見えるところもあり。
ハニーカラーの石と緑のコントラストが綺麗だったり。
石の山を登ってみれば海が見えたり。
わーい海だー!と崖に近づいてみれば穏やかな地中海。
これらの巨石文明を築いた人々は紀元前2200年頃に突如として姿を消してしまい、その後数百年に渡ってマルタ島は無人島と化していたそうです。大自然の風景にももちろん感動しますが、遺跡など人の手で造られたものを見たときには、”人ってすごい!!”といつもパワーを貰えます。
Rabat ラバト -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
イムディーナのお隣、城壁のすぐ外にあるのがラバト。アラビア語で単に「町」という意味なのだそうです
がもう少しひねれば良かったのに・・・と思わないでもないシンプルな名前。とはいえ、何も知らなければ
外国の一つの言葉として趣を感じます。
城壁で囲まれたイムディーナと違い、どこら辺までがラバトの町なのかがよく分かりませんでしたが
見所は中心部のエリアとローマ古代美術館、あとは迷わない程度に散歩を楽しむのみです。
イムディーナのギリシャ門を出てすぐのところにある”ローマ古代美術館”。館内を巡っていると一度
外へ出られるようになっていて、そこから見えたのがこちら。おそらくローマ時代の建物の名残でしょう。
館内ではモザイクなど綺麗に保存されていたのですが、ここは瓦礫の山と紙一重の状態。
でもなぜか、館内の展示品よりこちらのほうに惹かれてしまう私。どう頑張っても元の姿を想像できな
かったのですが、やたらと写真を撮ってしまいました。
ラバトには2つのカタコンベ(地下墓地)があります。そのうちの一つがこちらの聖アガサ教会に付属
しているカタコンベ。写真は教会のほうの入口で、カタコンベへの入口は別にあります。
カタコンベの入口周辺をうろうろしてみても誰もいないので、教会へ行って見学したいと言ったら開けて
くれました。多分私が行ったのが夕方、観光客が少ない時間だったのでこうなっちゃたんだと思いますが、通常は普通に入れるのではないでしょうか。
地球の歩き方によれば、こちらのカタコンベは4000㎡もの広さがあるとのことですが、見学できるのは
一部のみ。すぐに見終わる広さでしたし、気のせいか冷えてきた(笑)ため早々に地上へ。
次に向かったのは聖パウロ教会。ラバトの中心地にあり、一番の?見所。
地下にはマルタに漂着した聖パウロが隠れ住んでいたという洞窟があるそうですが、時間がなくて
外からのみ撮影。この教会のあるパリッシュ広場、結構車の往来があり、上手く写真に収めるのに
苦労しました。
そして、すぐ近くにあるのがもう一つの地下墓地、聖パウロのカタコンベです。
ここを一番見たいと思っていて、教会地下の洞窟も見ないで急いで行ったのに・・・・。
入ろうとしたところで受付の人に「今日の入場は終了です」と無情にも追い出されてしまいました。
閉まる時間まではまだ間があるし、少しだけでも見たいと粘ってみましたが、「次のチャンスにね」と
あっさり却下。え~・・・。次っていつ?(’’)結構遠くからやってきたんだけどなあ。
未練がましく閉められた門ごしにしばらくじーーーっと見ていましたが、やっぱり入れてはもらえません
でした。悲しいので周辺を少しうろつき、フェンス越しに写真撮影。
ただの庭のようにも見えますが、ところどころに換気?のための穴のようなものがあり、この地下に
墓地があるのだと辛うじて分かりました。
聖パウロのカタコンベは4・5世紀に造られ、22万2千㎡!の広さがあるそうです。
どんな広さか分からないので、同じくらいの敷地を持つものを調べてみたら”千葉県立館山野鳥の森”
や”大阪の地下街”がヒットしました。うーん、ちょっと分かりづらい(笑)。でも、大阪の地下街合計8箇所
(梅田だけではなくミナミも)全部合わせた広さを想像するとかなりのものだと分かります。
地上のラバトの町は何の変哲もないのどかな所という印象でした。しかし、聖アガサのカタコンベと
聖パウロのカタコンベと洞窟など、地下には広大な空間が広がっている2重構造。
この町は地上よりも地下の姿に特徴があるようです。
地震の怖さを知る日本人には長時間の地下探検は精神衛生上良くないかもしれませんが(笑)。
Mdina イムディーナ -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
マルタ島の内陸部の丘の上にある町イムディーナ。
ヴァレッタより先の時代に首都が置かれ、高僧や貴族が住み長く栄えてきたそうですが、今はひっそりと
静かな時間が流れる眠ったような町。新しい町ヴァレッタに対して、オールドシティと呼ばれるそうです。
バス停近くにあるメインゲートをくぐってイムディーナの町へと入ります。
町の周囲は城壁で囲まれており、”イムディーナ”はアラビア語で”城壁の町”という意味だそうです。
ちらほらと観光客の姿も見かけましたが、ちょっと横道へそれると全く人の姿がなく、物音もしない。
”静寂の町”(サイレント・シティ)と呼ばれるわけを痛感します。
店などの目印も何もなく、ひたすらに壁に挟まれた狭い道を歩いていると不安になりますが、
城壁を入れても300m×300m程度の小さな町なので方向音痴の私でも、道に迷って途方に暮れる
といった事態にはなりませんでした。
建物に使われている石がハチミツ色で明るいため、静かではあっても暗い印象はありませんでした。
これがくすんだ灰色だったりしたら憂鬱な散歩になったことでしょう。
大聖堂です。やはりハチミツ色でできています。というか、グラデーションの感じが美味しそうに
焼けたパンみたいです。
お隣には大聖堂付属博物館。時間の関係で内部を見学できなくて残念です。
大聖堂の脇にぽつんと置かれていました。昔の大砲?でしょうか。
メインゲートから町の中心を貫くVillegaignon通りを奥まで進むと堡塁広場へ行き着きます。
この日は風が強くて髪がぼさぼさになってしまいましたが、高台からの眺めは素晴らしかったです。
遠く、空との境界が曖昧ですが地中海が見えます。
ここからならば、海を越えて攻めてくる敵がいてもすぐに見つけられそうです。
別の方角はこのような風景が広がっています。背の高い木がなく、岩肌も見えるためちょっと
ごつごつした印象です。
イムディーナのもうひとつの出入り口、ギリシャ門。ここからお隣のラバトへ。
Marsaxlokk マルサシュロック -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
マルサシュロック。ちょっと不思議な言葉の響きと、青い海に浮かぶカラフルな船。
ある雑誌で見た1枚の写真が鮮やかに印象に残り、そのまま私にとってのマルタ島のイメージと
なりました。
記憶の中の雑誌の写真を思い出しながら同じアングルで撮影。
さすがにプロの写真にはかないませんが、ぜひとも自分の目で見てみたい!と思っていた場所に
立つことができた感動の1枚です。
ヴァレッタからバスで30分くらいのところにある小さな漁村。日曜の朝には海沿いに市場が開かれて
賑やかなんだそうですが、私が辿り着いたのはちょうどお昼時。穏やかな波間に浮かぶ船の他は
まばらな人影。船の手入れをしていた地元の人?にも「午前中にこないと・・・」と言われたのですが
この風景を見たいがために、なかなか来ないバスを辛抱強く待ってやってきた私は苦笑いで受け
流しました。
青をベースにしたこの船は「ルッツ」と呼ばれているそうです。
舳先には魔よけとして1対の目が描かれています。
海沿いに立つ教会。小さな村に違和感なく溶け込む小ぶりで可愛らしいサイズ。
端から端まで歩いてもさほど時間のかからない距離の港を何度か往復して少し喉が渇いたので
砂浜にあった海の家風のカフェ?でビールを注文してしばし休憩。
ビールは日本のようにキンキンに冷えたもの・・・は期待できず、やはりぬるかったです(笑)
最初からぬるいので、”早く飲まないとぬるくなっちゃう!”などと焦らずにすんだのが幸いでした。
ゆっくり飲みつつ日本の友人に宛てて葉書を書き、渇きが癒えたところで散歩再開。
メンテナンスのためでしょうか、ところどころで陸に上がった船も見かけました。
舳先の目が鼻のようにも見えます。
「何か幻のような、思い出のような、過去に属するなにかのような・・・」
雑誌の冒頭には、ある島をたとえてD.H.ロレンス(イギリスの詩人?小説家?)が言ったという
言葉が載っていました。”もしかしてマルタ島のことを言ったのかな?”とふと思ってみたり。
きらきら光る海と無数の船を呆然と眺めていると吸い込まれそうになります。
ぽつぽつと出会う人達の動きも緩慢で、何をするでもなく海辺のベンチに佇む人々も。
特に何がある、という訳でもないんです。でもなんだか名残惜しい。そういう場所でした。
Valletta ヴァレッタ Vol.2 -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
入江の中に突き出る形になった半島にヴァレッタの市街地があります。
イメージ的にはアルファベットの”W”が一番近いでしょうか。真ん中の凸部分がヴァレッタ市街、
両側の凹んだ部分がそれぞれ”グランド・ハーバー”(右)・”マルサイムシェット・ハーバー”(左)
と呼ばれる港になっています。
グランド・ハーバー沿いに先へと向かうと”ローアー・バラッカ・ガーデン”と呼ばれる公園があります。
日なたにいると光が刺さってくるのですが、日陰に移動するとひんやり涼しいのでこまめに肌を
休めつつお散歩すれば、強い日差しもさほど苦にはなりません。
グランド・ハーバーを挟んだ向かいは”スリー・シティ”と呼ばれる地域。
以前の記事「マルタの碑」で紹介した、日本海軍慰霊碑のあるカルカーラはこのスリー・シティに
隣接する町です。
半島の付け根のほうに目を向けると、要塞化されたヴァレッタ市街の様子がよく分かります。
前回の記事でもホテル周辺の坂道の写真をアップしましたが、ヴァレッタは坂の多い街です。
半島の先へまっすぐのびる道。手前から車の列を海のほうへ辿ってみてください・・・。
歩道にあたる部分は階段状になっているのですが、幅といい高さといいい微妙に歩幅と合わず、
慣れるまで足元見ながらじゃないと怖くて歩けませんでした。
こちらは手前だけ見ると平坦ですが・・・。奥のほうまで車の列を追って見て下さい。
ジェットコースター並みの傾斜です。おそらくほとんどがMT車だと思うのですが、この坂道で
こんなにぴっちぴちに縦列駐車できることがすごい!!と変なところで感心しました。
”Old Bakery Street(オールド・ベーカリー・ストリート)”と美味しそうな名前の道ですがやはり坂。
しかもこちらは両側に車がぎっしりです。
後にガイドブックで知ったことですが、こうして多くの坂のある街路を造ることで海風を走らせて、
涼をとる工夫をしたそうです。なるほど!暑い地域ならではですね。
ヴァレッタの建物で気になったのが出窓。これも何か意味のある工夫なのでしょうか?
出窓の全てが壁と同じ色ではないし、よーく見ると後から付け足したような気もしなくもない。
番号が書いてあったりして、観察すればするほど謎が深まりました。
で、この出窓、ガラスないところありますよね?修理しないのかなあ(’’)
Valletta ヴァレッタ Vol.1 -2005年マルタ島- [Malta -マルタ-]
念願だったマルタへの旅を実現させたのは2005年秋。
日本からまずはローマへ。語学留学中だった友人宅で2泊させてもらった後、朝9:15発の
飛行機でマルタへ。友人宅を出たのは早朝まだ暗い時間帯。空港でも人影はまばら。
こんなに閑散としたフィウミチーノ空港を見たのは初めてでした。
空港の端っこのほうで待機しているちっちゃい飛行機に乗り込みいよいよ出発!
シチリア上空を通過し、1時間半ほどでマルタに到着。
飛行機を降りると秋(10月後半)だというのに日差しが強く暑い。
ローマと同じ服装ではとてもじゃないが耐えられません。短時間の移動だったのに
すごーく遠いところへ来たような錯覚に陥りました。
空港からバスに乗り、目指すはマルタ共和国の首都Valletta(ヴァレッタ)。
街の名前は、この都市を造った聖ヨハネ騎士団(1530年にマルタへ本拠地を移してからは
マルタ騎士団とも呼ばれるようになった)の団長ジャン・ド・ラ・ヴァレッテに由来します。
騎士達によって要塞化されたこの街はユネスコの世界遺産にも指定されています。
ヴァレッタのバスターミナルからシティゲートをくぐり徒歩でホテルへと向かったわけなのですが・・・。
写真では少しわかりにくいのですが、結構きつめの坂、しかも階段になっていてスーツケースの
キャスターが無意味。地図で見るとさほどの距離じゃないし余裕だわーなんて思っていましたが
いきなりハードな運動をすることになってしまいました。
それでもやっと辿り着いた憧れの地、写真撮るふりして休憩しつつ無事ホテルにチェックイン。
「シャワーが共同の海側の部屋と、眺めのよくないシャワー付きの部屋とどっちがいい?」と
聞かれ、しばらく思案した結果、せっかくなので便利さよりも眺めを優先して海に面した部屋へ。
ホテルの窓からの眺めです。しばらくじーっと見入りつつ、マルタ島に来たんだなあと感慨に耽る。
そしてふと思う。・・・あれ?そういえば海側の部屋は若干料金が高かったはずでは?
でも、フロントではどちらも同じ金額でいいよと言ってたから大丈夫か・・・。
マルタは大雑把・・・いえ、おおらかなところです。暑い国では細かいことは気にしないのかな?
ホテル前の路地です。この狭い道に無理やり?といった感じで車も止まっていますが
さすがにこの階段は登れないでしょう。
ホテルに入るにはもう一つ海側の道もあるのですが、勾配は同じようなものです。
荷物持っていなくても運動不足の体にはきついこの坂を、マルタ滞在4日間毎日登り降り。
こんな街に住んでいたら痩せるのでは・・・と思いますが、全体的にマルタ人はふくよかな人のほうが
多いように思いました。そんなところにもおおらかさを感じてなんだか和みました。